
【この記事で分かること】
- 市役所と児相の「武器」の違い: 伴走支援の市町村(こども家庭センター)と、強制介入権を持つ児相の明確な役割分担。
- 児相だけが持つ強力な法的権限: 一時保護や親権制限(28条申立て)など、子どもの命を守るための最後の砦としての機能。
- 中核市設置を巡る「人材と組織」の壁: 迅速な支援というメリットに対し、専門職の確保と都道府県との事務引継ぎという高いハードル。
- 運営費を支える「カネ(交付税)」の仕組み: 基準財政需要額への算定ロジックと、どれくらいの交付税算定額になるかという概算。
前回の「探偵!ナイトスクープ」を巡るヤングケアラーの記事には、想像以上の反響をいただきました。

SNSでの議論を見ていると、多くの方が「不適切な養育があれば、すぐに児童相談所(児相)が動いて救い出すべきだ」という、強い期待を寄せているのがわかります。
しかし、現場で働く公務員なら誰もが一度は直面する、ある「葛藤」があります。
「児相に通報したのに、なかなか動いてくれない」 「市で対応してくれ、と差し戻されてしまった」
なぜ、こうした温度差が生まれるのか。それは、
私たちが「児童相談所」という組織の特異な権限と、市役所の窓口との決定的な役割分担、そしてその背後にある「カネ(予算)」の仕組みを、意外なほど正しく理解できていない
からかもしれません。
月曜日の朝、窓口に立つ皆さんが迷わず「情報のバトン」を繋げるように。そして、自治体の経営層が「児相設置」という重い決断を迫られたときに、企画や財政の視点から正しく助言できるように。
今回は、一般論ではない「実務家から見た児相の正体」を、少しディープに解き明かしていきましょう。
さゆり最近、役所での仕事に不満を持っている方には、こちらの記事もオススメです!


児相と市役所:決定的な「役割」と「権限」の境界線
「うちの市にも子ども相談の窓口があるのに、なぜわざわざ遠くの児相まで通告が必要なの?」
若手職員からそんな質問を受けることがありますが、答えはシンプルです。
市役所のこども相談窓口と児童相談所では、持っている「武器(法的権限)」が根本的に違う
からです。
1. 市町村は「寄り添いのフロントライン」
2024年(令和6年)4月からすべての市町村に設置が努力義務化された「こども家庭センター」は、いわば「地域のかかりつけ医」です。
- 役割: 妊産婦から子育て世帯まで、身近な場所で相談に乗り、必要な福祉サービスに繋ぐこと。
- 主な手法: 訪問、面談、計画策定、民間サービスの紹介。
- 限界: あくまで保護者の「同意」がベースであり、強制的に介入する権限は持っていません。
2. 児童相談所は「法的介入の専門機関」
対する児童相談所(児相)は、都道府県や指定都市が設置する、より高度で専門的な「司法に近い行政機関」です。ここには、市町村には決して与えられない「強力な牙」があります。
- 一時保護: 子どもの命を守るため、親の意思に反してでも強制的に引き離す権限。
- 28条申立て: 家庭裁判所の承認を得て、親権を制限し、子どもを施設に入所させる等の措置。
- 専門職のチーム: 児童福祉司だけでなく、児童心理司、医師、家庭裁判所調査官経験者など、多職種による高度なアセスメント。
なぜ児相はなかなか動かない(ように見える)のか
現場の不満としてよく聞く「児相が受けてくれない」という問題。これは児相が怠慢なのではなく、彼らが「最後の一線を越える組織」だからです。
一度「一時保護」というカードを切れば、それは家族の形を根底から変え、時には激しい訴訟リスクも伴う重大な行政処分となります。だからこそ、児相は「在宅での支援(市町村の役割)で粘れる余地はないか」を厳しく問うてくるのです。



私の経験上、児相とのコンフリクト(対立)を解消するコツは、感情的な『大変なんです!』という訴えではなく、客観的な『限界の証明』を提示することです。市としてこれだけの訪問を行い、この支援メニューを投入したが、保護者の拒否により子どもの安全がこれだけ脅かされている――。この『積み上げ』があって初めて、児相という巨大なギアが回り始めます。
市役所が「盾」となって家庭を支え、それでも防げない刃に対して、児相が「剣」として介入する。この役割のグラデーションを理解することが、実務家としての第一歩になります。
児童相談所の「心臓部」:一時保護所というバックヤードの現実
児相の役割を語る上で、絶対に外せないのが「一時保護所」の存在です。
児童福祉法第33条に基づき、子どもの安全を確保するために緊急的に保護を行うこの施設は、いわば児相の「心臓部」。しかし、その扉の向こう側でどのような実務が行われているかは、同じ役所内でも知る人は多くありません。



一時保護所は特に厳格に施設管理しているイメージがありますね。



ちなみに、一連の業務フローを図にしたら、こんな感じにゃん。


24時間365日、一刻も休まない「聖域」
一時保護所には、深夜・早朝を問わず警察や市役所から子どもが連れてこられます。 保護される子どもたちの背景は、虐待、ネグレクト、非行など多岐にわたり、年齢も乳幼児から高校生まで様々です。
ここでは、単に「預かる」だけでなく、食事や睡眠の提供、学習支援、そして何より心の傷を癒やすための専門的なケアが、文字通り24時間体制で行われています。この「一刻も止められない」というプレッシャーが、現場の職員には常にのしかかっています。
2. 運営を阻む「3つの高いハードル」
一時保護所を自前で持つ(あるいは新設する)際、自治体が直面するのが以下の3点です。
- 専門人材の濃密な配置: 子どもの安全と心のケアを両立させるため、一般的な児童福祉施設よりも手厚い職員配置が求められます。これは当然、莫大な人件費として跳ね返ってきます。
- 「生活」と「教育」の質: 短期間の保護とはいえ、学校に行けない子どもたちの学習機会をどう確保するか。タブレット端末の導入や学習ボランティアの活用など、ハード・ソフト両面での工夫が不可欠です。
- 立地を巡る「NIMBY(施設コンフリクト)」: 新設しようとすると、近隣住民から「治安が悪くなる」といった反対運動が起こることが少なくありません。



悲しいことに、某自治体では「児相設置反対運動」とか起こりましたからね…。
「定員超過」という慢性的課題
今、全国の児相で問題になっているのが一時保護所のパンク状態です。 保護すべき子どもが増える一方で、出口となる施設や里親が見つからず、保護期間が長期化してしまう。
この「出口戦略」の詰まりが、一時保護所の現場を疲弊させ、さらには「保護すべき子どもを保護できない」という最悪の事態を招きかねない。これが、今の日本の児相が抱える最も深刻なリスクの一つです。
誰が運営するのか?「中核市設置」を巡る光と影
これまで「児相がない市役所」の職員にとって、児相は「県にお願いする場所」でした。しかし、2006年の法改正以降、中核市や特別区(東京23区)でも児相を設置できる道が開かれ、実際に金沢市、明石市、奈良市といった自治体が独自に運営を開始しています。
なぜ、莫大なコストとリスクを背負ってまで、市が児相を持ちたがるのか。そこには「光」と、容易には越えられない「影」が存在します。
「光」:地域に密着した「顔の見える」迅速な対応
市が独自に児相を持つ最大のメリットは、「情報の距離」が一気に縮まることです。
都道府県が運営する児相の場合、管轄エリアが広く、どうしても「遠くの機関」になりがちです。しかし市が設置すれば、保健所、学校、教育委員会、そして生活保護担当部署と同じ自治体組織になります。
「あの家庭、保健所の健診に来ていない」「学校でも欠席が続いている」といった情報を、組織の壁を越えてリアルタイムで集約し、即座に一時保護の判断を下せる。この「スピード感」こそが、子どもの命を救う最大の武器になります。



住民に身近なところで児相を持つ強みは大きいのにゃ。
「影」:凄絶な「専門人材」の奪い合いと育成の壁
一方で、多くの自治体が二の足を踏む最大の要因は、人材確保の難しさです。
児相を運営するには、児童福祉司、児童心理司、保健師、そして一時保護所の職員など、高度な専門職を揃えなければなりません。しかし現在、これらの専門職は全国的に圧倒的な不足状態にあります。
「県から引き抜くわけにもいかないし、自前で育てるには10年かかる」 これが、設置を検討する中核市の担当者が直面する、最も高く、分厚い壁です。



あと、市で児童福祉司を確保すると、異動先が少なくて配置が難しい、という人事の実務的な問題が生じるんですよね。



ん?それは都道府県でも一緒じゃないのかにゃ?



たとえば人間関係でもめて異動させたいとき、都道府県は複数の施設を持っているので、別の児相に配置換えができるのですが、市レベルだと施設が1つしかなくて、動かしようがない、ってなるんです。



せっかくの児童福祉司を児相以外に配置するのはもったいないにゃんしね…
論点:県からの「職員派遣」と「負担金」の解消
また、中核市が児相を新設する際、実務上避けて通れないのが都道府県との「事務引継ぎ交渉」です。
新設当初、経験不足を補うために県からベテラン職員を派遣してもらうケースが多いですが、その「人件費負担」や、これまで県に支払っていた「児相設置運営負担金」の精算など、財政・人事の両面で非常にシビアな交渉が必要になります。
理想としての「一貫した支援」と、現実としての「人材・財政負担」。この天秤をどう均衡させるかが、自治体経営としての児相設置の成否を分けます。



そこで、後述する交付税措置の話が出てくるんですよね。
元財政課長が教える「児相の運営費と基準財政需要額」の真実
まず知っておくべきは、児童相談所を一つ運営するのに、どれほどのおカネがかかるかという現実です。
人件費、一時保護所の運営費、心理判定のための設備、さらには24時間365日の対応体制。これらを合わせれば、小規模な児相でも年間数億円、規模が大きければ十数億円規模の予算が動きます。しかも、その大半は削ることのできない「義務的経費」です。
基準財政需要額への算定ロジック
では、この莫大な費用を自治体はどうやって捻出しているのでしょうか。ここで登場するのが、普通交付税の算定に用いる「基準財政需要額」です。
児童相談所の経費は、令和6年度以前は「社会福祉費」、令和7年度は「こども子育て費」の中で算定されます。
基本的には「人口」などの測定単位に「単位費用」を掛け合わせて算出されますが、児相はすべての自治体が持っているわけではないため、設置している自治体(都道府県・指定都市・設置済みの中核市等)に対してのみ、特別な算定が行われます。
具体的には、補正係数において「児童相談所設置市」のフラグを立て、
- 児相設置市のフラグが立っている市:基準財政需要額を大きく加算
- 管内に児相設置市を有する都道府県:児相設置市に係る児相関係経費を基準財政需要額から減額
というしくみをとっているのです。



なるほど、てことは、市の人件費増分は交付税の算定で積み増しされるのかにゃん?



そう!この人件費相当額、中核市レベルなら10〜15億円くらいに達するから、少なくとも「児相のせいで赤字になる」ということは考えにくいんです!



にゃるほど、それだけの加算があれば安心にゃね。



ただし「設置市」にならないと加算されないので、準備期間中の人件費は普通交付税で措置されない点は要注意です。



あとは算定と実際の人件費がどれくらい見合うかだけど、こればかりはどんな職員を採用・配置するかに左右されるから、もう自治体の裁量のフェーズに行ってるにゃん。



それよりも、今は人材をちゃんと確保できるかのほうが、財政よりもはるかに大きな問題なんですよね…。
まとめ:「カネと権限」を理解して初めて見える支援の形
以上、本日は児童相談所について、その役割と設置主体、財政上の問題についてお話ししました。
児童相談所を単なる「福祉の相談場所」として捉えるのと、「法的権限と財政措置がセットになった高度な行政システム」として捉えるのでは、現場での動き方も他部署との交渉力も全く変わってきます。
特に、今回触れた「カネ」の話は、福祉部局にとっては財政部局との共通言語になります。逆に、財政・企画部局にとっては、児相の運営がいかに綱渡りの人材確保と制度運用の上に成り立っているかを知るきっかけになります。
組織の壁を越えて「子どもの最善の利益」を守る
「児相が動いてくれない」と嘆く前に、彼らが背負っている法的責任の重さを知る。 「設置費用が高い」と切り捨てる前に、その投資が地域の子どもたちにもたらすスピード感と安心感を計算する。
制度の裏側にある「理屈」を知ることは、決して冷徹になることではありません。むしろ、感情論に流されず、持てるリソースを最大化して「あの子」を救うための、最も現実的で温かい戦略なのです。



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