
【この記事で分かること】
- 「二次炎上」が起きるメカニズム: 謝罪や説明がなぜ火に油を注いでしまうのか。SNS時代の広報が直面する、正論の裏に潜むリスクを解明します。
- 危機管理広報「3つの鉄則」: スピード、誠実な事実確認、そして対象者への配慮。組織を守るためではなく、信頼を回復するための不可欠な基本動作を整理します。
- 「説明」と「言い訳」の決定的な違い: 読者が納得するのは「主観的な事情(言い訳)」ではなく「客観的な基準(説明)」です。ナイトスクープの声明を例に、NGワードの正体を分析します。
- 公務員実務に活かす「品格ある広報」: 「多様性」や「寄り添い」といった言葉を思考停止の免罪符にしないために。明日からの実務で意識すべき、言葉選びの心構えを伝えます。
「探偵!ナイトスクープ」の放送から数日。番組側から出された一本の声明が、さらなる波紋を広げています。
前回の記事では、放送内容そのものに含まれる「ヤングケアラー」という課題と、行政が持つべき視点について深掘りしました。

しかし、今まさに私たちが注目すべき「もう一つの実務的課題」が浮上しています。それが、組織としての「危機管理広報」のあり方です。
番組側は、出演したご家族への誹謗中傷を止めるべく、異例のスピードでメッセージを発信しました。その姿勢自体は、対象者の安全を守るという観点から評価されるべきものです。
しかし、その文章の中に綴られた「ある一言」が、火に油を注ぐ結果となってしまいました。
「なぜ、良かれと思って出した説明が、さらなる炎上(二次炎上)を招いてしまうのか?」
これは、SNS時代の広報に直面するすべての公務員にとって、決して他人事ではありません。
今回は、元財政課長として数々の「火消し」や「ロジック構築」に携わってきた私の視点から、この声明文を徹底的に解剖し、実務に活かせる「失敗学」として整理していきたいと思います。
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声明文が出た後の「二次炎上」という罠
1月23日、朝日放送テレビは番組公式サイトおよびSNSにて、当該放送回に関する声明を発表しました。
その核心は、「取材対象者やご家族への誹謗中傷を止めてほしい」という切実な訴えです。これは、出演者のプライバシーと尊厳を守るというメディアの責任において、極めて正当なアクションです。誹謗中傷は、どんな理由があろうとも許されるものではありません。
しかし、問題となったのは、その後に続く「番組側の見解」の部分でした。
「ヤングケアラーは重要な社会的課題として強く認識しております。一方、家族の事情や日常のあり方は多様であると考えています」
この「多様性」という言葉が画面に踊った瞬間、SNS上の議論は「家族を守れ」から「番組側の責任転嫁ではないか」という批判へ、フェーズが変わってしまいました。
いわゆる**「二次炎上」**です。
公務員の実務においても、これと同じ現象がよく起こります。窓口での不適切対応や、事務ミス。組織として謝罪や説明の文書を出したはずが、その「言い方」や「ロジックのすり替え」が透けて見えた瞬間に、住民の怒りは増幅し、収拾がつかなくなる。
なぜ、ナイトスクープの声明は「火消し」にならなかったのか。それを紐解くには、まず危機管理広報のセオリーに立ち返る必要があります。
危機管理広報のセオリー:何を守り、誰に向かって語るのか
危機管理広報において、最も陥りやすい罠があります。それは、
「自分たちの正当性を証明しようとすること」
です。
しかし、本来の危機管理広報の目的は「組織の自己防衛」ではありません。傷ついた「公共の信頼」をどう回復し、守るべき対象(今回であれば出演者と子ども)の安全をどう確保するかに尽きるのです。
そのための鉄則として、以下の3つの視点からこの問題を考えてみましょう。
1. スピード:疑念が確信に変わる前に動く
今回の番組側の対応は、放送後の過熱する議論に対して比較的早いタイミングで行われました。
初動の速さそのものは、危機管理の定石どおりです。沈黙を続けることは、時に「肯定」や「無視」と捉えられるリスクがあるからです。
2. 誠実な事実確認:曖昧な表現で濁さない
広報文において、最も避けるべきは「多義的な言葉」での逃げです。
今回の声明では「家族の事情や日常のあり方は多様」という言葉が使われました。しかし、視聴者が抱いた「これはヤングケアラー(虐待の懸念)ではないか?」という具体的な疑念に対し、この「多様」という言葉はあまりに曖昧で、答えになっていません。
3. 被害者(対象者)への配慮:組織の尊厳より個人の尊厳
声明文の主語は誰であるべきか。
危機管理においては、常に「影響を受けた側」の視点に立たなければなりません。
今回の声明は、ご家族を守るという建前をとりつつ、その実、「番組の編集方針には問題がなかった(同意を得ていた)」という番組側の免責を強調するニュアンスが強く出てしまいました。
これが、受け手に「自己保身」の印象を与えてしまったのです。



役所の広報も、何か問題が起きるとまず『法的に瑕疵はないか』『要綱に反していないか』を確認し、それを盾に文章を作りがちだにゃん…



でも、世間が求めているのは、法的整合性という冷たい理屈ではなく、組織としての『倫理的誠実さ』なんです。ここを読み間違えると、どれだけ丁寧な言葉を使っても、住民の心には響きませんよね
【徹底分析】ナイトスクープの声明文、何が「正解」で何が「致命傷」だったのか
まず大前提として、この声明文には「絶対に譲れない正論」が含まれています。
1. 評価すべき「盾」としてのメッセージ
番組側が「取材対象者への誹謗中傷や接触を厳に慎んでほしい」と強く打ち出したこと。これは広報として、また制作者として「正解」です。
ネット上で個人のプライバシーが暴かれ、家族が攻撃の的にされる事態は、いかなる理由があっても正当化されません。
この一線に、番組が組織として「ノー」を突きつけたスピード感は、本来であれば称賛されるべきものでした。
しかし、そこが素晴らしかった分だけ、その「盾」のすぐ隣に置かれた「言葉」が、どうしても強い引っかかりになってしまいます。
2. 問題の核心:「多様性」という名の免罪符
炎上に油を注いだのは、明らかにこの一文です。
「一方、家族の事情や日常のあり方は多様であると考えています」
このフレーズの何が「致命傷」だったのでしょうか。
それは、
社会的課題であるヤングケアラー問題を、「個別の家庭の主観的な幸福」というミクロな視点にすり替えてしまった点
にあります。
視聴者が抱いた違和感は、「これはヤングケアラーではないか」という客観的な福祉の基準に関わるものでした。それに対し、
「家族にはいろいろな形があるから」と返してしまうのは、いわば「ヤングケアラーかどうかは視聴者の皆さんが判断すべきではない」と返してしまったようなもの
です。
3. 「多様性」が免罪符として機能しなかった理由
多様性(ダイバーシティ)という言葉は、本来「排除されない権利」を守るためのものです。しかし、今回の文脈では、それが「番組の判断ミスを正当化するための防壁」として使われてしまった皮肉があります。
- 矮小化: 社会問題(構造的課題)を家庭内の事情に閉じ込めた。
- 責任の回避: 多様性を認めるという「善意の言葉」を使うことで、批判側を「多様性を認めない不寛容な人々」という構図に追いやってしまった。
このロジックのすり替えが透けて見えたとき、読者は「誠実な説明」ではなく「巧妙な言い逃れ」と感じ取ります。
ひょっとして…テレビ局は炎上覚悟であえて社会に問題提起した?
ところで、ここで少し視点を変えてみましょう。
「探偵!ナイトスクープ」という番組には、長年愛されてきた揺るぎないコンセプトがあります。
「複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を徹底的に究明する」
もし今回の放送が、このコンセプトに忠実に基づいた「社会への問いかけ」だったとしたら、どうでしょうか。
番組コンセプトに忠実な「究明」だった可能性
番組側が、このご家庭の状況を単なる「お手伝い」としてではなく、「現代社会が抱えるヤングケアラーという境界線上のリアル」として、あえてありのままに提示したのだとすれば、それは
メディアとしての極めて尖った、かつ誠実な「メス」の入れ方であったとも理解
できます。
実際に、放送後のSNSでの爆発的な議論は、これまで行政や専門家だけが語っていた「ヤングケアラー」という言葉を、お茶の間のリアルな問題として引きずり出すことに成功しました。
これは、並大抵の啓発番組では成し得ない「究明」の成果と言えるかもしれません。
浮き彫りになった「事後対応」の課題
しかし、もしこれが確信犯的な問題提起であったとしても、実務的な観点からは二つの大きな課題が残ります。
- SNSという現代社会の「熱量」の読み違え: 番組がメスを入れた結果、溢れ出した熱量が「議論」を超えて、取材対象者個人への「非難や特定」にまで及んでしまったこと。これは現代のメディアが直面する最もコントロールが難しいリスクです。
- 声明文による「メス」の鈍化: せっかく社会に鋭い問いを投げかけたにもかかわらず、その後の声明文で「家族の事情や日常のあり方は多様」としてしまったことで、結果としてヤングケアラーの存在を積極的に許容してしまったように見えたことで、メスの切れ味は鈍化してしまったように思います。
まとめ:危機に際して「組織の品格」が問われる
以上、今回は、「探偵!ナイトスクープ」のヤングケアラー炎上事案をきっかけに、危機管理広報について真剣に考えてみました。
広報文の一行、たった一つの言葉選びが、その組織が何を一番大切にしているかを雄弁に物語ってしまいます。
今回の声明文で使われた「多様」という言葉。それは本来、あらゆる家族や個人を祝福するための言葉です。しかし、危機管理の局面でこの言葉を安易に使ってしまうと、守るべき「子どもの権利」や「組織の責任」を曖昧にするための煙幕にすり替わってしまうリスクがあることを、私たちは教訓にしなければなりません。
言葉を「思考停止の道具」にしないために
公務員の実務家として、私たちが大切にすべきは「言葉の重みに自覚的であること」です。
- 多様性を「問題を個別のケースに閉じ込めるため」に使わない。
- 寄り添いを「具体的な支援から逃げるため」の口実にしない。
危機に陥ったときほど、美辞麗句で飾った「言い訳」ではなく、泥臭くとも現状を直視した「説明」が、巡り巡って組織の信頼を救うことになります。
今回のナイトスクープの事例は、私たちに「言葉の怖さと尊さ」を改めて教えてくれました。SNSという荒波の中で、自治体という船をどう操り、言葉という舵をどう切るべきか。
明日からの実務で、ぜひ同僚や部下と一緒に問い直してみてください。



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