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「なぜ首長のハラスメントはなくならないのか?」元財政課長が分析する、選挙の全能感と「人事権という凶器」の正体

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【この記事で分かること】

  • 選挙という全能感の正体:なぜ「選ばれた」という事実が、リーダーを「何をしても許される」という錯覚に陥らせるのか、その構造的な理由。
  • エリート・専門家リーダーの罠:輝かしい経歴を持つリーダーほど陥りやすい「正解主義」の暴力性と、現場の痛みに対する鈍感さのメカニズム。
  • 組織が壊れ始める「静かな予兆」:予算査定の場での吊るし上げや、人事権を報酬と罰の道具に使い始めた際に現れる、末期症状のサイン。
  • 自分を守るための生存戦略:首長を「期限付きの経営者」と割り切り、自らの市場価値(外部での評価)を知ることで組織への依存から脱却する方法。

テレビをつければ、またどこかの知事や市長が、厳しい表情で記者会見に臨んでいる。あるいは、議会の委員会で詰め寄られ、言葉を濁している。

そんなニュースが流れるたび、日本中の役所の休憩室には、独特の「重い沈黙」が流れます。

「またか」という落胆。 「明日は我が身かもしれない」という恐怖。 そして、「なぜ、あれほど知的なリーダーたちが、これほどまで無残に組織を壊してしまうのか」という深い疑問。

兵庫県、福井県、横浜市……。 報じられている事例は、エリート官僚出身者から学識経験者まで、本来であれば高い倫理観と知性を備えているはずの方々ばかりです。

それなのに、ひとたび「首長」という椅子に座ると、ある時を境に、現場の声が届かず、ハラスメントを働いてしまうという事案が発生してしまいます。

私は、市役所、県庁、そして総務省の現場で、数多くの首長や政治家を間近で見てきました。財政課長という立場は、予算という「カネ」と、それに付随する「政策」の裏側をすべて見るポジションです。

その経験から言えるのは、これは決して「その人の性格がもともと悪かった」という単純な話ではない、ということです。そこには、日本の地方自治制度が抱える構造的な欠陥と、リーダーが陥りやすい心理的な罠が、複雑に絡み合っています。

今日は、特定の個人を指弾するためではなく、私たち公務員がこの不条理な「構造」とどう向き合い、どうやって自分の心とキャリアを守るべきなのか。その本質を、元財政課長の視点から解剖していきたいと思います。

さゆり

最近、役所での仕事に不満を持っている方には、こちらの記事もオススメです!

目次

選挙という「全能感」の罠:独任制が生む「勘違い」

首長がハラスメントに至る最初のボタンの掛け違いは、多くの場合、当選した直後の「高揚感」の中に潜んでいます。

得票数は「白紙委任状」ではない:自治体規模を問わず陥る「私が市民の正義である」という錯覚

選挙で選ばれるという体験は、人間の心理に強烈な影響を与えます。 数万、数十万という「票」という数字を得て選挙に勝ち、

住民の民意を得たという「選挙の洗礼」

それは、首長にとって「自分の考えはすべて肯定された」という強烈な成功体験として刻まれます。

特に、今の地方自治体の現場では「改革」を求める声が強く、首長は強いリーダーシップを期待されます。しかし、ここで一つの勘違いが生まれます。

「市民が私を選んだのだから、私のやることに反対する職員は、市民の意志に反する存在である」

この短絡的なロジックが、組織の中に

「首長の言葉=絶対的な正義」という空気

を作り出します。得票数は、あくまで「その任期の間、行政運営を託す」という付託であり、何をしてもいいという「白紙委任状」ではないはずです。しかし、全能感に酔ったリーダーは、手続きの正当性や現場の慎重論を「古い役所文化の抵抗」と切り捨て、力でねじ伏せようとし始めます。

ねこ

このパターン、ホントに多いのにゃ…

二元代表制の機能不全:本来ブレーキ役である議会が「忖度の場」に変わるとき

地方自治には「二元代表制」という、首長と議会が互いに牽制し合う仕組みがあります。首長が暴走しそうになれば、議会がブレーキをかける。それが民主主義のルールです。

しかし、私が財政課長として議会対応をしていた際、この「ブレーキ」がどれほど脆いかを痛感する場面が多々ありました。

首長が圧倒的な支持を得ていたり、あるいは議会の多数派を特定の会派が握っていたりする場合、議会はチェック機能を失い、むしろ首長の顔色を窺う「忖度の場」へと変質します。

議員たちも、自分の要望を通すために首長との関係を優先し、職員がハラスメントに悲鳴を上げていても、「それは内部の問題だ」と見て見ぬふりをする。

ブレーキを失った権力は、さらに加速し、現場をなぎ倒していくことになります。

取締役会のない「個人商店」化:地方自治体の独任制構造が抱える、構造的な脆弱性

民間企業であれば、CEO(最高経営責任者)の上に「取締役会」があり、独断専行を監視する仕組みがあります。

しかし、日本の地方自治体の首長は「独任制」です。教育行政などの一部を除き、すべての事務執行の権限が一人の首長に集中しています。副知事や副市長は、あくまで首長の「補助機関」であり、首長が解任しようと思えばいつでもできてしまう。

この

「絶対的な主従関係」の中で、首長を正面から諫められる人間は、物理的にも制度的にも存在しにくい

のです。

予算にしても条例議案にしても行政計画にしても、最終的には首長の「はんこ」ですべてが決まります。

この

「自分がすべてを決められる」という構造そのものが、どれほど謙虚な人間であっても、長い時間をかけて「ここは自分の個人商店だ」という錯覚へと導いてしまう。これが、地方自治が抱える最も根深い構造的リスク

なのです。

ねこ

権力は、人を変えてしまうのにゃ…

さゆり

一方で、「眠っていた本性を引き出しているだけ」という説もありますよね。

高学歴・専門家出身リーダーが陥る正解主義の暴力

首長によるハラスメントが議論される際、しばしば「あんなに頭の良い人がなぜ?」という声が聞かれます。しかし、私の視点は少し違います。

むしろ、頭が良すぎるからこそ、陥ってしまう罠がある。

彼らが歩んできた輝かしいキャリアの中にこそ、現場を追い詰めてしまう暴力性の種が潜んでいるのです。

都道府県知事に顕著な「東大→官僚」ルートの弊害:挫折を知らないエリートが抱く無能への嫌悪

特に都道府県知事において、いわゆる「名門進学校から東大を経て、総務省などのキャリア官僚へ」という黄金ルートを歩んできたリーダーは少なくありません。

彼らの人生は、常に正解を出し続けることで報われてきました。複雑な問題を鮮やかに解き、最短距離で成果を出す。その過程で、彼らが接してきたのは同じく優秀な同僚たちだけです。

ところが、地方自治体の現場は、そんな正解主義だけでは回りません

法律やロジックだけでは割り切れない住民の感情。
複雑な利害関係。
そして限られたマンパワー。

現場の職員は、その泥臭い調整に日々心血を注いでいます。

挫折を知らないエリートリーダーにとって、この現場の停滞は耐え難いものに映ります。「なぜ、こんな簡単なことができないのか」「なぜ、指示した通りに動かないのか」。彼らにとって、できない理由はすべて能力不足ややる気の欠如に変換されてしまいます。

私が財政課長として査定に立ち会った際も、部下を詰めるリーダーの言葉の端々に、自分たちと同じスピードで走れない者への純粋な嫌悪感が混じっているのを感じることがありました。悪気がないからこそ、それは受ける側にとって、逃げ場のない暴力となります。

学識・専門家出身ゆえの論理の絶対化:自身の正解を疑わないリーダーの危うさ

一方で、横浜市の事例のように、大学教授などの学識経験者や、あるいは特定の行政分野の専門家から首長になるケースも増えています。

彼らの武器は、緻密に積み上げられた独自の論理です。

自らの研究や知見に基づいて導き出した正解は、彼らにとって絶対的な真理です。もちろん、そのビジョン自体は素晴らしいものが多い。しかし、学術的な正しさが、必ずしも行政実務上の正しさと一致するわけではありません

行政には手続きの適正さや公平性という、論理よりも優先されるべきルールが存在します。専門家出身のリーダーがこれに直面したとき、「自分の正しい論理を、役所の古い慣習が阻んでいる」という被害妄想に近い怒りを抱くことがあります。

「学問的な真理を理解できない現場が悪い」。そう思い込んだリーダーにとって、職員への叱責は無能な者を教育しているという大義名分にすり替わります。自分の正しさを一ミリも疑わないリーダーの振る舞いは、現場を沈黙させ、組織の活力を根こそぎ奪っていくのです。

現場の痛みは調整不足という記号に変わる:市民感覚から乖離し、数字とロジックの世界に閉じこもる心理

エリート層や専門家出身のリーダーにとって、現場の混乱や職員の疲弊は、報告書の中の記号に過ぎなくなってしまうことがあります。

例えば、新しい福祉施策を強行する際。「これを実施すれば〇〇人の住民が救われる」という数字上のロジックは完璧でも、その裏で窓口職員がどれだけの罵声を浴び、どれだけの残業を強いられるか。

彼らの頭の中にあるのは、10年後のまちの姿というマクロな正解です。それに対し、「今、目の前の職員が泣いている」というミクロな痛みは、目標達成に向けた些細な調整不足やコストとして処理されてしまいます。

「高い志のためには、多少の犠牲は仕方ない」。

この思考に陥ったとき、首長は現場との絆を決定的に失います。市民のために働いているはずのリーダーが、実は自分たちが仕えるべき現場の人間を最も軽視しているという、悲しい逆転現象が起きるのです。

さゆり

このパターンは、必ずしも首長の思いが間違っているわけではないだけに、難しいんですよね…


元財政課長が見た崩壊の予兆:予算と人事に現れるサイン

しかし、たとえ思いが正しいものであったとしても、結果としてそれがハラスメントという形で発露することは、往々にしてあり得ます。

そして、

ハラスメントが公になり、ニュースになるずっと前から、役所の内部では「何かがおかしい」という予兆が必ず現れる

のが現実です。

特に、組織の根幹である予算と人事の歪みは、最も深刻なアラート(警告)です。

予算査定の変質:ロジックではなく首長の好みで決まり、担当者が吊るし上げられ始めたら末期

通常、予算査定は必要性と財源の冷徹な議論の場です。しかし、首長の全能感が暴走し始めると、この場は忠誠心を試す場へと変質します。

私が財政課長だった頃、最も注視していたのは首長の言葉の刃(やいば)の向け先でした。当初予算の査定時、首長の思い入れが強い事業に対して、実務的な懸念を伝えた事業課の担当者に対し、首長がロジックではなく「やる気がないのか」「私の考えが理解できないのか」と人格を否定するような叱責を始める。

これが日常化すると、職員は「できない」と言えなくなります。結果として、無理な予算が計上され、現場には到底達成不可能なタスクが積み上がる。予算査定の場が、建設的な議論の場ではなく、首長の機嫌を伺う御前会議になったとき、その組織の崩壊はすでに始まっています。

ねこ

心理的安全性の低い職場なのにゃん…

人事権という絶対的なカードの悪用:諫言を呈する優秀な幹部が、次々と本流から外される恐怖

首長が持つ最大の権力は、実は予算よりも人事権にあります。本来、人事は適材適所が原則ですが、ハラスメントが常態化する組織では、人事が報酬と罰の道具になります。

特に危険なサインは、

諫言(かんげん)を呈する優秀な職員の左遷

です。首長の耳に痛い正論を言う部局長や課長が、不自然なタイミングで本流とされる部署から外されたり、外郭団体へ出向させられたりする。代わりに、首長の顔色を窺うのが上手いイエスマンが周囲を固め始める。

「あの優秀な先輩があんな目にあうなら、黙っているのが正解だ」。優秀な人間ほど、このメッセージを敏感に察知し、沈黙を選びます。あるいは、静かに組織を去っていきます。人事権という凶器によって組織から異論が排除されたとき、首長を止める仕組みは完全に消失するのです。

さゆり

名前は出さないですが、かつてハラスメントで名高かった首長の自治体では、これが横行していましたね…。

ねこ

どこなのか、めっちゃ気になるにゃ。

さゆり

それはここではヒミツです!さ、次いきましょ!

スピード感の履き違え:適正な合意形成プロセスを抵抗とみなし、強権的に排除する弊害

「スピード感を持って改革を進める」。この言葉は、今の時代、非常に聞こえが良く、多くの市民の支持を得ます。しかし、行政実務におけるスピード感と、独裁的な強権発動は全く別物です。

行政の仕事には、関係機関との協議、住民への丁寧な説明、法的根拠の確認といった不可欠なステップがあります。これを「役所の既得権益を守るための遅延」と断じ、プロセスの省略を強要すること。

これもまた、深刻なハラスメントの温床です。

私が財政課にいた際、首長の「明日までに案を持ってこい」という鶴の一声で、法的なチェックをすっ飛ばして予算化した事業が、後に大きなリスクに繋がったケースがありました。このとき、責任を負わされるのは指示を出した首長ではなく、常に実務を通した現場です。

プロセスを軽視するリーダーの下で、職員は制度上の安全網を奪われたまま、断崖絶壁を走らされるような極限状態に置かれるのです。


なぜ歯止めが効かないのか?沈黙の組織構造と一筋の光

これほどまでに問題が深刻化しても、なぜ役所という組織は自浄作用を発揮できないのでしょうか。そこには、職員が声を上げられない心理的な監獄と、それを打破しようとする新たな動きがあります。

首長の顔色を窺うイエスマンが量産されるメカニズム

首長という独任制の権力者の下では、忖度(そんたく)の連鎖が止まらなくなります。特に首長に近い副市長や総務部長といった幹部層が、首長の不興を買うことを恐れて情報を遮断し始めると、現場の悲鳴は完全に封じ込められます。

「首長を怒らせるな」「うまく丸めて報告しろ」。

こうした幹部の振る舞いは、若手職員に絶望感を与えます。組織全体が首長の機嫌という一つの色に染まっていくとき、正しい実務判断よりも、首長を満足させることが最優先の業務になってしまうのです。

横浜市の事例が示した自浄作用:側近である人事部長による告発が、組織の矜持を繋ぎ止めた瞬間

しかし、絶望ばかりではありません。横浜市で起きた事例は、自治体ガバナンスにおける一筋の光となりました。

首長の側近中の側近であるはずの人事部長が、首長によるハラスメントを自ら告発したのです。これまでの役所の常識では、側近は首長を守る盾であり、不祥事を闇に葬る役回りを期待されてきました。しかし、この部長は首長への忠誠心よりも、組織の正義、そして共に働く職員を守る道を選びました。

これは、どれほど強大な権力であっても、内部の人間が勇気を持って立ち上がれば、その暴走を止めることができるという強力な証明です。

沈黙を美徳とする公務員文化の中で、この横浜市の事例は、私たちが持つべき「組織の矜持」とは何かを改めて問い直しています。

さゆり

横浜市の事例はそれぞれに言い分があるようですから、引き続き予断無く注目する必要がありそうですね。

内部統制が機能するための最後の砦とは何か

制度として、ハラスメント防止条例や内部通報制度を整えることは重要です。しかし、それだけでは不十分です。

本当の最後の砦は、組織の中にある「異論を認める文化」です。特に財政や人事といった横断的な部署が、首長に対して「それは制度上不可能です」と胸を張って言えるかどうか。そして、その諫言を組織が守れるかどうか。

ガバナンスが効いている自治体ほど、首長と幹部職員の間で健全な言い合いが行われています。

首長の全能感にブレーキをかけられるのは、最後は、法令と住民への責任を背負った、私たちプロフェッショナルの矜持以外にないのです。


ハラスメント首長から自分の心とキャリアを守る生存戦略

組織の構造的な問題を知ることは重要ですが、

今この瞬間も現場で苦しんでいるあなたにとって最も大切なのは、自分の心と人生を守ること

です。暴走する権力に対して、一職員ができる最大の防御についてお話しします。

首長は上司ではなく期限付きの経営者であるという割り切り

役所に長く勤めていると、どうしても首長を絶対的な主君のように感じてしまいがちです。しかし、本来の姿は違います。

首長は、選挙という契約によって選ばれた期限付きの経営者に過ぎません。極端な言い方をすれば、数年後にはいなくなる外部の人です。

あなたの人生や人格を否定する権利は、誰にもありません。首長からの心ない言葉は、あなたの能力不足を証明するものではなく、単にそのリーダーが行政マネジメントに失敗している証拠に過ぎないのです。

まずは、首長の評価を自分の価値と直結させない、心の境界線を引くことから始めてください。

ねこ

極端な話、次の選挙で全く違うタイプの首長になることだってあるのにゃ。

組織の不条理に飲み込まれないための心の距離感

真面目な職員ほど、自分が頑張って首長を支えなければ、組織を円滑に回さなければ、と責任を感じてしまいます。しかし、ガバナンスが崩壊した組織で一人で踏ん張ることは、自らを燃やし尽くすリスクを伴います。

今の状況を、自分ではコントロールできない嵐だと認識してください。嵐の中でできるのは、適切な手続きを淡々と踏み、記録を残し、無理な指示には組織としてのリスクを文書で伝えることまでです。

それ以上の責任を背負い、夜も眠れないほど悩む必要はありません。あなたの本当の居場所は、役所の外側の人生にもあるはずです。

いつでも逃げられるという武器を持つこと

首長という強大な権力、あるいは人事権というカードに対して、私たちが持てる最強の対抗手段。それは、組織の外側でも、自分は戦えるという自覚を持つことです。

ここを辞めたら生きていけない、という思い込みが、あなたを組織の不条理に従順にさせ、心を疲弊させます。しかし、もしあなたに、いざとなれば私を必要としてくれる場所が他にある、という確信があればどうでしょうか。

首長の顔色を窺う必要はなくなり、プロフェッショナルとして毅然とした態度で仕事に向き合えるようになります。皮肉なことに、組織への依存を捨てたとき、あなたは最も強い職員になれるのです。

外部市場での自分の価値を知っておくことは、単なる転職準備ではありません。理不尽な権力から自分を、そして自分の誇りを守るための最強の盾を手に入れる作業なのです。

さゆり

もし今、組織の空気に押し潰されそうなら、一度外の世界を覗いてみてください。あなたが役所で磨いた実務能力、実は外の世界では希少なスキルかもしれませんよ。


まとめ:組織の正義よりも、自分自身の納得解を大切に

地方自治体のリーダーシップは、まちを大きく変える力を持っています。しかし、その力が全能感という毒に変わったとき、最も犠牲になるのは、志を持って入庁したはずの職員たちです。

ハラスメントは、個人の資質の問題以上に、独任制という仕組みや、人事権の集中といった構造的な歪みから生まれます。その構造の中にいる以上、一人の力で状況を変えるのは難しいかもしれません。

しかし、自分の心のハンドルまで組織に預ける必要はありません。あなたが守るべきは、目の前の首長の機嫌ではなく、将来の自分自身の納得感です。

この嵐を乗り越えた先に、あなたが組織の歯車としてではなく、一人の自立したプロフェッショナルとして歩み続けていることを、役所の元財政課長として、そして一人の仲間として心から願っています。

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この記事を書いた人

20年以上にわたり、市役所・県庁、そして総務省といった「地方自治」の最前線でキャリアを積んだ元地方公務員。自治体経営の要である「財政課長」として、「現場に寄り添う予算査定」をポリシーに、数多くの予算編成や行財政改革を完遂。議会からも厚い信頼を寄せられた実績を持つ。

組織の意思決定の舞台裏で培った「公務員のリアルな実務」と、激務の中で見出した「キャリア構築の知恵」を余すことなく公開。難解な制度や、複雑な職場の人間関係といった壁に直面する現役職員へ、元財政課長の視点から忖度なしの具体的解決策を提示します。

天然キャラながら時に核心を突く相棒「ねこ」とともに、地方自治体の世界を分かりやすく解剖。若手公務員の成長と、組織に埋もれない「賢い生き残り戦略」を全力でサポートします。

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