
【この記事で分かること】
- 「特急選挙」に伴う異常な行政コスト: 表明から1週間で告示という強行軍が、なぜ「言い値(随意契約)」や「予備費の費消」といった財政的な異常事態を招くのか。
- 民主主義の参入障壁としての「準備期間」: 物理的な準備時間を奪うことが、いかに「対抗馬の不在」という政治的状況を人為的に作り出し、形式的な実績(信任)を生んでしまうか。
- 23億円と「特別交付税」の知られざる関係: 国の財政措置が講じられたとしても、それが全国の自治体間での「ゼロサムゲーム(奪い合い)」であるという残酷な仕組み。
- 「トリプル選」を支える現場職員のフィジカルな限界: 掲示板の増設から投票用紙の仕分けまで、名もなき公務員たちが深夜までアナログな作業で民主主義のインフラを守っている実態。
2026年1月22日、凍てつく朝。テレビのニュースは、大阪府知事・大阪市長の「出直しダブル選挙」を大きく報じています。
画面越しに流れる
というテロップ。
一般の方々が「もったいない」と声を上げるその一方で、私のような元自治体職員の目には、全く別の光景が浮かんでいます。
それは、連日深夜まで煌々と明かりが灯る選挙管理委員会の窓、山積みになった投票用紙の箱、そして、急すぎる補正予算の編成に追われ、血走った目でパソコンや予算書とにらめっこする財政課員の姿です。
「23億円」という数字は、単なるコストの総計ではありません。それは、
民主主義という手続きを「超短期間」で無理やり動かすために支払われる、現場の疲弊と行政コストの結晶
です。
今回は、市役所・県庁・総務省を渡り歩いた実務家の視点から、この異例の出直し選挙が現場に何を強いているのか、そしてその「急激さ」が孕む政治的な危うさについて、包み隠さずお話ししたいと思います。
ねこ今回の記事では、政治的な議論というよりは、「政治に振り回される実務」という視点を重要視しているのにゃ。



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告示日に思う、選管と財政課の「戦場のような1週間」
吉村洋文大阪府知事が辞職を表明したのが1月15日。そして、今日、1月22日が告示日。わずか「1週間」という期間は、行政実務の常識からすれば、文字通り「狂気の沙汰」です。
現場のリアル:1月15日から今日までの「狂乱の7日間」
通常、選挙の準備には少なくとも数ヶ月を要します。
ポスター掲示板の設置場所の確保、投票所の借用交渉、選挙に必要な物品の調達や配送、開票作業にあたる数千人規模の職員動員……。これらは本来、緻密なパズルのように組み上げられるものです。
しかし、今回のように「1週間」で全てを整えなければならない場合、現場で行われるのは「パズル」ではなく「突貫工事」です。
自治体の担当者が行うのは、協力会社への「言い値」での発注と、全庁的な「強制的応援」の要請です。
協力業者にしても、急な受注には特急料金を上乗せせざるを得ません。この「時間をお金で買う」構造こそが、今回のような出直し選挙のコストを膨らませる正体の一つなのです。



「投票管理者が見つからない」と慌てる大阪府内各市の選管の様子が目に浮かぶにゃ…



ちなみに、予算はもちろん専決処分で処理ですね。
「急すぎて候補者が出ない」――戦わずして得る「実績」と、その政治利用への懸念
選挙は、有権者が複数の選択肢から未来を選ぶプロセスです。しかし、今回のような「表明から告示まで1週間」という超短期間のスケジュールは、
他者の「選択肢」を物理的に奪い去るシャットアウト
に近いものがあります。
物理的なシャットアウト:主要政党が擁立を見送るほどの短期間
「民意を問う」という言葉は響きが良いですが、その舞台裏にある事務的な手続きを無視しては成り立ちません。
他陣営が新人を擁立しようとすれば、まずは候補者の選定から始まり、供託金の準備、選挙事務所の確保、ポスターの印刷、運動員の招集……。
こういった候補者選定を、突然ゼロから1週間で完結させるのは、どんな巨大組織であっても至難の業です。
候補者側の準備が間に合わないということは、有権者にとっての「比較検討」というプロセスが機能不全に陥ることを意味します。既成組織を持つ現職側は、告示前から実質的な準備ができているのに対し、対抗馬はスタートラインに立つことすら許されない。
これは「民主主義のコスト」を支払っているようでいて、その実、コスト(経費)をかけて「競争のない形」を公費で作り出しているようにも見えてしまいます。行政のスケジュール調整という実務の権限が、選挙という神聖な場において「最強の武器」として振るわれてしまっている現実に、私は一人の実務家として危機感を覚えずにはいられません。
残される「事実」の危うさ:形式上の「当選」という免罪符
さらに恐ろしいのは、
たとえ候補者が揃わず、あるいは低投票率で終わったとしても、「選挙で勝った」という形式的な事実は法的に確定してしまう
点です。
「信任を得た」という実績は、その後の政治判断において、極めて強力な免罪符(レジティマシー)となります。例えば、過去に二度否決された「大阪都構想」への三度目の挑戦。今回の出直し選で勝利すれば、それがどんなに戦いのない、形式的な勝利であったとしても、「再び民意を得た」というロジックに転換することが可能になります。
「投票率が低かったから、この勝利は無効だ」という議論は、行政実務の世界では通用しません。一度確定した選挙結果は、その背後にある「急すぎて誰も出られなかった」という不条理を飲み込んだまま、大きな政治的推進力へと姿を変えていきます。
実務者が血を吐くような思いで整えた「23億円の舞台」が、特定の政治目的を最短距離で達成するための「ショートカット」として機能してしまう。
それは、私たちが守るべき「公正な行政執行」というプライドが、政治の都合によって踏み台にされているようでもあり、非常に複雑な思いを抱かざるを得ないのです。



いろいろ思うところはありますが、政治的なところに口出しできないのが公務員ですからね…



そして、こういうのが公務員のモチベーションを下げ、優秀な人材を民間労働市場に流してしまうのにゃ…


1年足らずの「残り任期」に23億円?――出直し選挙が抱える費用対効果の矛盾
今回の知事選にかかる費用、約23億3,000万円。ニュースではこの額の大きさが強調されていますが、財政の視点からさらに衝撃的なのは、その「使い道」と「期間」の圧倒的なミスマッチです。
公職選挙法の冷徹なルール:任期はリセットされない
意外と知られていないのが、出直し選挙の「任期」に関するルールです。
公職選挙法第259条の2に基づき、辞職した首長が同じポストの出直し選挙で再選した場合、その任期は「前任期の残り期間」となります。



こういうのは、ちゃんと条文そのものも見ておきましょうね。
【公職選挙法(抄)】
(地方公共団体の長の任期の起算)
第二百五十九条 地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から、選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から、それぞれ起算する。
(地方公共団体の長の任期の起算の特例)
第二百五十九条の二 地方公共団体の長の職の退職を申し出た者が当該退職の申立てがあつたことにより告示された地方公共団体の長の選挙において当選人となつたときは、その者の任期については、当該退職の申立て及び当該退職の申立てがあつたことにより告示された選挙がなかつたものとみなして前条の規定を適用する。
つまり、2023年4月に当選した知事と市長の本来の任期満了日は2027年4月。今回の2026年2月の選挙で再び選ばれたとしても、任期が2030年まで延びるわけではありません。
そう、
せっかく選挙をしても、現職再選だと、わずか1年ちょっと(約14ヶ月)で、再び「任期満了に伴う通常の選挙」がやってくる
のです。
「たった1年数ヶ月の任期を買うために、23億円を投じるのか?」
財政課長の立場だと、「こんなものに一般財源は投じられない!」というのが一般的な判断なのですが、こと選挙に関しては、事務方がその是非について口出しするなんて、とんでもない話。
ただ、23億円を14ヶ月で割れば、1ヶ月あたり約1億6,000万円。民主主義のコストとして片付けるには、あまりにも重く、費用対効果のバランスが崩れた数字です。



「23億円があったら、どんな施策・事業ができるかな」と考えてしまうにゃんね…。
なぜ、前回より「6億円」も高くなっているのか
さらに見過ごせないのは、2023年の前回選挙時(約17億円)と比較して、予算額が約6億円も跳ね上がっている点です。
大阪府の説明によれば、この背景には昨今の物価高や人件費の高騰があります。しかし、実務家としての私の見立ては少し違います。コスト増の真の正体は、「準備期間の短さ」による追加コスト(特急料金)です。
数ヶ月かけて競争入札を行う余裕がないため、資材調達や業務委託の多くは「随意契約」となります。業者はこの狂乱のスケジュールに対応するため、追加の人員を確保し、物流を無理やり調整します。その「無理」は、当然ながら価格に転嫁されます。
加えて今回の場合、入札をする暇がないということで緊急随意契約が適用されるでしょうから、価格競争も働きにくい。
「急いで選挙をする」ということは、市場価格よりもはるかに高い「政治的特急料金」を、全て税金で支払うことと同義なのです。


「トリプル選」という地獄:ポスター掲示板と投票用紙の舞台裏
今回、知事選・市長選の「ダブル選」に加え、解散に伴う「衆院選」までが重なるという、いわゆる「トリプル選」の様相を呈しています。
政治ニュースでは「同日実施で効率的」とさらりと語られますが、実務の現場から見れば、それは「効率」という言葉では片付けられない、物理的な限界との戦いです。



効率的だと思っているのは、予算数値しか見ていない、天上人だけなのにゃん…。
掲示板が足りない!街中の「看板」を巡る攻防
まず直面するのが、街中に設置される「ポスター掲示板」の問題です。
通常、選挙ごとに掲示板は新設されますが、これほど急で、しかも複数の選挙が重なると、物理的に掲示板を立てるスペースも、機材も、そして何より「職人」が足りません。
私が現場にいた頃もそうでしたが、こうした事態では、既存の掲示板に「増設枠」を無理やり継ぎ足したり、あるいは一枚の大きなパネルを複数の選挙で分割して使ったりという、現場の「力業(ちからわざ)」が繰り出されます。
雪が降る中、あるいは冷たい雨に打たれながら、深夜の街角で掲示板に「知事選用」「市長選用」の区分けシールを一枚ずつ手作業で貼っていく。その「アナログな苦労」の上に、私たちの投票機会は辛うじて維持されているのです。
投票用紙の「色」が混ざる恐怖
さらに、事務担当者を最も震え上がらせるのが、投票所での「取り違え」です。
トリプル選となれば、有権者は短時間に「小選挙区」「比例代表」「知事」「市長」……と、いくつもの投票用紙を手に取ることになります。
「間違えて知事選の用紙を衆院選の箱に入れてしまった」 「市長選の用紙を配り忘れた」
こうしたミスは、選挙の正当性を揺るがす重大な事故になります。これを防ぐために、現場では投票用紙の色を厳密に変え、表示を大きくし、職員が喉を枯らして誘導を続けます。
選挙管理委員会の担当者は、告示の数日前から、何万枚、何十万枚という投票用紙を機械と手作業で数え、各投票所ごとに仕分ける作業に追われます。
この「仕分け」にミスが許されないというプレッシャーは、経験した者にしか分からない、胃が捩れるようなストレスなのです。
「管理職」も「若手」も総動員。行政サービスは止まっている
この「突貫工事」を支えるのは、選管の職員だけではありません。全庁から応援に駆り出される、あらゆる部局の職員たちです。
本来、窓口で住民対応をすべき職員や、福祉の現場を守る職員が、急な選挙のために早朝から深夜まで駆り出されます。その間、本来の行政サービスは「最低限」に絞り込まれ、あるいは後回しにされます。
「選挙だから仕方ない」
その一言で片付けられてしまいますが、この「見えない行政リソースの流出」こそが、出直し選挙が社会に強いている真の代償と言えるかもしれません。



普通の選挙なら、予定がある程度見通せるので計画的にできるのですが、いかんせん今回のは急すぎて予定を変えないといけないですし…
「信を問う」代償:削られるのはどの予算か
23億円という巨額の予算が「専決処分」で決まったと聞いて、多くの職員が真っ先に考えたのは「その財源をどこから持ってきたのか?」ということでしょう。
行政の予算は、魔法のようにどこからか湧いてくるものではありません。何かが増えれば、何かが削られる。これが財政の鉄則です。
特別交付税という「魔法の杖」と、その不都合な真実
実は、今回の出直し選挙のような特発的な経費に対しては、国から「特別交付税(特交)」による財政措置が講じられる仕組みがあります。「地方独自の事情で多額の費用がかかったなら、国が少し助けてあげましょう」というセーフティネットです。
「なんだ、国がお金を出してくれるならいいじゃないか」と思われるかもしれません。しかし、ここに自治体財政の恐ろしい「ゼロサムゲーム」が隠されています。
特別交付税の総額は、国全体の予算であらかじめ決まっています。つまり、どこかの自治体が大きな「取り分」を主張すれば、その分、他の自治体へ配分されるはずだったお金が削られるという構造なのです。
雪深い地域の除雪費、予期せぬ災害の復旧費、深刻な過疎に悩む村の地域活性化関係経費。本来、そうした
される。
「自分たちが選んだ政治的パフォーマンスのツケを、全国の他の自治体が間接的に支払わされている」という側面があることを、私たちは忘れてはならないと思います。
事務の悲鳴:基礎数値照会は「もう終わっている」
さらに、実務担当者にとって致命的なのが「タイミング」です。
特別交付税の算定にあたっては、総務省から各自治体に対して、膨大な「基礎数値照会」が行われます。例年、年度末(3月)の交付に向けた最終的な照会作業については、主要な項目はほぼ締め切られようとしている時期です。
このタイミングで、突然「23億円規模の選挙経費が発生しました」とねじ込むことが、どれほど現場を混乱させるか。
この「目に見えない膨大な事務コスト」もまた、23億円という数字には表れない、私たちが支払っている代償なのです。



このあたり、実務的にはどう処理されているのか、個人的には気になるのにゃん。
「信を問う」ための犠牲は、民主主義のコストか?
「民主主義を守るためには、この程度の犠牲は仕方ない」
そう断じるのは簡単です。しかし、財政の最前線で「10万円の補助金を削るかどうか」で何時間も議論し、住民の切実な要望を断腸の思いで却下してきた経験を持つ者として、私はどうしても割り切れない思いが残ります。
この23億円があれば、老朽化したどれだけの橋が直せたでしょうか。どれだけの子供たちの給食費を軽減できたでしょうか。
「信を問う」という大義名分の影で、本来届けられるはずだった行政サービスが、そして全国の自治体が共有すべき「セーフティネット」の財源が削られている。その冷徹な事実に、私たちはしっかりと目を向けるべきです。
まとめ:震える手でポスターを貼る職員へのエール
以上、本日は、大阪府知事・大阪市長の出直しダブル選挙について、実務面から考察してみました。
「23億円」という数字、そして「出直しダブル選」という政治的な駆け引き。ニュースやSNSでは、その是非を巡って激しい議論が戦わされています。
しかし、私がこの記事を通じて一番伝えたかったのは、その議論のさらに奥深く、冷たい冬の夜に震える手でポスター掲示板を設置し、一睡もせずに開票準備に追われている「現場の公務員」たちの存在です。
政治の理想と、実務の持続可能性
「信を問う」という大義名分は重いものです。ですが、その重みを支えているのは、魔法のような制度ではなく、現場職員の「無理」と「献身」です。
本来なら数ヶ月かけて丁寧に積み上げるべき民主主義の手続きを、わずか1週間で、しかも「トリプル選」という過酷な条件下で完結させる。それがどれほど綱渡りの作業であり、どれほど多くの行政リソース(本来なら市民の福祉に向けられるべき時間と予算)を削り取っているか。
今回の大阪の事例は、私たち公務員に対し、「政治的な意志」と「行政実務の持続可能性」のバランスをどう保つべきかという、非常に重い問いを投げかけています。
あなたが「民主主義のインフラ」そのものである
この記事を読んでいる現役公務員の中には、まさに今、この狂乱のスケジュールの中に身を置いている方もいるかもしれません。あるいは、別の自治体で、似たような理不尽な特急案件に振り回されている方もいるでしょう。
政治のスポットライトが当たるのは、常に「23億円」という数字や、当選した首長の笑顔です。しかし、その舞台を裏で支え、制度が崩壊しないようにギリギリのところで踏みとどまっているのは、間違いなくあなたたちです。
そのプライドこそが、公務員という仕事の、最も泥臭く、そして最も尊い本質だと私は信じています。
どうか、自分たちの仕事に胸を張ってください。そして、無事にこの嵐が過ぎ去ったとき、心から自分を労ってあげてください。この記事が、過酷な現場で戦う皆さんの心に、ほんの少しの温かさと共感を届けることができたなら、元財政課長としてこれ以上の喜びはありません。







